菰山

菰山展の「菰山(こざん)」という言葉は、固有の山の名前のことではなく、御在所岳や鎌ヶ岳など菰野の山という意味です。

江戸時代の中頃に菰野町にいた漢詩人、伊藤冠峰(いとうかんぽう)さん。その人の詩にも、山水を友とする心境をうたった「菰山」という詩があるので紹介させてもらいます。

菰野山八絶 其の八

 菰 山

重 畳 水 与 山
不 是 知 音 少
吾 哭 水 又 号
我 喜 山 亦 笑

<書き下し文>
重畳(ちょうじょう)す水と山と
是れ知音(ちいん)の少からざらんや
吾哭(われな)けば水又号(みずまたさけ)び
我喜べば山亦笑(やままたわら)ふ

<解説>
わが菰山では谷川や峰がいくえにも重なり合っていて趣が多く、
真の友とするに足るものが少なくない。
私が泣くと谷川の水も泣き叫んでくれ、
私が喜ぶと山の峰も笑ってくれる。
この古里の山水の景色こそが真の友人である。

伊藤冠峰さんと村瀬一郎さん

伊藤冠峰さんの「冠峰」は鎌ヶ岳のことで、山の名前をペンネームにしています。伊藤冠峰さんは医者であり詩人でした。明治から昭和にかけての道徳の教科書に載るほどの人助けをした人で(火事に遭い家をなくした友達のために、自分の家を売ってお金を渡した。)、当時の菰野町で一番有名な人だったそうです。29歳で菰野町を離れ、その後は主に岐阜の笠松で活躍をして「偉人」と呼ばれた人でした。
そして時は流れ、昭和の時代の笠松で、偉人伊藤冠峰さんの本を作ることになり、村瀬一郎さんという漢文の専門家に委ねられることになりました。笠松にも菰野町にもゆかりがあったわけではない村瀬一郎さんですが、伊藤冠峰さんの人柄と、今では故郷の菰野町で忘れられようとしている現状に触れ、伊藤冠峰さんの石碑を、なんと自腹で3つ、菰野町に建てました。伊藤冠峰さん、村瀬一郎さん、2人の熱い思いを胸に、ぜひ実際にその歌碑を探して見てもらいたいです。

村瀬さんが建てた冠峰さんの3つの石碑の場所

①菰野図書館の辺り

②御在所岳山頂

③鎌ヶ岳山頂


参考文献
村瀬一郎「伊藤冠峰」
中村誠「菰野町の良さを見つけたよ!三つも」